備えよ、常に
いつでも義務を果たせるよう、常に心身の準備を怠るな!困難に直面したとき、微笑みを浮かべ、ツグミが歌うように「頑張れ、頑張れ!」と自分に言い聞かせよ。そうすれば何もかもうまくいく。
物事や人の暗い面を見ないで、明るい面や優れた所を見よ。
幸福を得る方法は、他人を幸福にすることにある。
君は、悪い習慣からじっと身を守っているだけでなく、進んでよいことをしなければいけません。
”よいことをする”と言うのは、他の人たちの役立つ人になり、他の人たちに、小さな親切をすることだと私は思います。
それは決して難しいことではありません。
毎日必ず誰かに、少なくとも一つの”よいことをする”決心をすることから
始めればすぐにいつも”よいことをする”習慣がつくのです。
”よいこと”はどんな小さな事でもよいのです。
例えば、道を横切るおばあさんに手を貸すとか、悪口を言われている人へ親切な言葉をかけるとか・・・大切なことは、何かをすることです。
何もかも思い通りにならず
心をじらすように見えるとき
さからったり、騒いだり、そわそわせず
ここだと思って、あなたは、微笑め!
誰かがあなたを「だます」とき
話半分にきいて
辛抱し、だまされず、そして愉快そうに
ただ、あなたは笑いとばすだけ
けれども、あなたが気分が重くて
(そういうことは、無論、時々あるものだ)
微笑むことも、笑うことも、大笑いもできないなら
ただ、じっと、していること
野外生活
キャンプはスカウト生活の中でも楽しいものだ。神の造られた大自然の中で丘や木や鳥や獣や、海や川に囲まれて生活すること、つまり、自分の小さなカンバスの家で、自分で炊事をし探検をして自然にとけ込んで生活する、それは町のれんがと、ばい煙の中ではとうてい得られない健康と幸福をもたらしてくれる。
ハイキングもまた、毎日新しいところを探検しながら遠く野外へ出かけて行くすばらしい冒険だ。ハイキングは、雨にも風にも暑さにも寒さにも負けない強い体と心をつくる。そうなれば、どんな天候の苦労にも打ち勝てる自信ができ、どんな天気でも平気で笑って迎えることができる。
森の技能
森の技能とは、動物と自然についての知識である。
動物の足跡をたどって忍び寄り、自然のままの姿を観察し、習性を研究すれば、いろいろの動物についての知識が得られる。 (中略)
森の技能には、足跡やそのほかの小さなサインを見つける力のほかにその足跡やサインが示す意味、たとえばその動物がどんな速さで歩いていたか、驚いていたか、安心していたか、などを読みとる力も含まれている。 (中略)
スカウトでない人と一緒にいて、大小、遠近、高低を問わず何かをその人に先に見つけられたら、それはスカウトの恥だと覚えておきたまえ。
騎士道
注1:武士道 新渡戸稲造の『武士道』参照
昔の騎士は真のスカウトで、彼らの決まりは今日のスカウトのおきてとたいへんよく似ている。
騎士は、名誉を何よりも神聖なものと考えていた。うそをついたり、盗みをしたりするような不名誉なことはしなかった。そんなことをするくらいならむしろ死んでしまっただろう。国王や信仰や名誉を守るためには、いつでも戦って死ぬ覚悟を持っていた。
班長に、次長と 4,5 人のスカウトがいるように、騎士は誰でも従者と数人の兵士をもっていた。
騎士の班員は、どんなときでも騎士についていて主人と同じ考えをもち、それを実行した。
それは・・・・・
名誉は神聖である。
神と国王と国とに忠誠をつくす。
婦人、子供と弱い者に特に礼儀正しく親切である。
すべての人の助けとなる。
必要なところへは金銭と食物を与え、そのために貯金をする。
信仰と国を守るため武術の訓練をする。
これらのことをするために、いつも強健で活発な体にしておくよう心がける。
君たちスカウトは、騎士を手本にするのが何よりもよい。騎士について一つ重要な点は、毎日だれかに善いことをしなければなかったで、これまた、私たちスカウトの規則の一つと同じでもある。朝起きた時、その日だれかに善いことをしなければならないのだ、ということを心に思いたまえ。それを忘れないように、ハンカチーフかネッカチーフに結び目を作りたまえ。万一、一日一善をし忘れたら、次の日に善いことを二つしたまえ。スカウトのちかいによって名誉にかけてするのだということを忘れてはいけない。しかし、スカウトは、一日一善だけすればそれでよいと考えてはならない。一つはしなければならないが、もし 50 もできるならそれは多いほどよいのだ。善行はごく小さいことでもよい。貧しい人のための募金箱に小銭を一つ入れるだけでも、年寄りの婦人が道を横切るのを助けても、誰かに席をゆずっても、のどのかわいた馬に水を飲ませても、舗装した道から小さなバナナの皮をとりのぞいても、それは善行だ。毎日一つはしなければならないのだが、君がしたことについて何の報酬も受け取らない時だけを善行に数えることができる。
サムライとは?
サムライというのは、1500年の歴史を持つ日本の騎士のことである。わが中世の騎士とよく似たものであった。彼らの指導理念は武士道といい、その中で武士は次のことを奨励される。富の代わりに貧虚飾の代わりに謙虚広言の代わりに慎み利己の代わりに無私個人の利益の代わりに国の利益それに加えて、個人の勇気、剛毅、忠誠、自制、および純潔を重んじた。
注1:詳細は「武士道 (新渡戸稲造)」
新渡戸稲造は現地の教育関係者との会話において日本における宗教的教育の欠落に突き当たった結果、1900年にアメリカ合衆国でBushido: The Soul of Japanを刊行した。本書はセオドア・ルーズベルト、ジョン・F・ケネディ大統領など政治家のほか、ボーイスカウト創立者のロバート・ベーデン=パウエルなど、多くの海外の読者を得て、明治41年(1908年)に『武士道』として桜井彦一郎が日本語訳を出版した。)
※B.Pが日本に来て参考にしたとされる鹿児島の郷中(ごじゅう)
鹿児島藩郷中は、薩摩藩の武士階級子弟の教育法。類似するものに会津藩の「什」がある。
一、武道が第一である。
一、武士道の本義を油断なく実践せよ
一、用事で咄(グループ)外の集まりに出ても、用が済めば早く帰れ、長居するな
一、何事も、グループ内でよく相談の上処理することが肝要である仲間に無作法など申しかけず、古風を守れ
一、グループの誰であっても、他所に行って判らぬ点が出た場合には仲間とよく話し合い、落ち度の無いようにすべきである
一、嘘を言わない事は士道の本意である、その旨をよく守るべし
一、忠孝の道は大仰にするものではない。その旨心がけるべきであるが、必要なときには後れを取らぬことが武士の本質である
一、山坂を歩いて体を鍛えよ
一、髪型や、外見に凝ったりすることが二才(薩摩の若者)なのではない。万事に質実剛健、忠孝の道に背かないことが二才の第一である。この事は部外者には判らぬものである
これらはすべて厳重に守らなくてはならない。背けば二才と呼ぶ資格はなく、軍神にかけ、武運尽き果てることは疑いがない。
一、負けるな
一、弱いものいじめをするな
一、たとえ僅かでも女に接することも、これを口上にのぼらせることも一切許さない
一、金銭欲・利欲をもっとも卑しむべきこと
「会津藩 什」
會津藩校 日新館―会津藩・白虎隊の学び舎 > 日新館について > 什の掟―じゅうのおきて(ならぬことはならぬものです)
什の掟―じゅうのおきて(ならぬことはならぬものです)
什の掟 じゅうのおきて 會津藩校 日新館
同じ町に住む六歳から九歳までの藩士の子供たちは、十人前後で集まりをつくっていました。この集まりのことを会津藩では「什 (じゅう)」と呼び、そのうちの年長者が一人什長(座長)となりました。
毎日順番に、什の仲間のいずれかの家に集まり、什長が次のような「お話」を一つひとつみんなに申し聞かせ、すべてのお話が終わると、昨日から今日にかけて「お話」に背いた者がいなかったかどうかの反省会を行いました。
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
※什により、一つ二つ違うところもありましたが(「戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ」はすべての什にあったわけではないようです)、終わりの「ならぬことはならぬものです」は、どの什も共通でした。
そして、「お話」に背いた者がいれば、什長はその者を部屋の真ん中に呼び出し、事実の有無を「審問」しました。事実に間違いがなければ、年長者の間でどのような制裁を加えるかを相談し、子供らしい次のような制裁を加えました。
『 人の御世話おせわにならぬよう。
人の御世話おせわをするように。
そして酬むくいをもとめぬ求めぬよう。 』
後藤新平(1857〜1929 / 医師 政治家 ボーイスカウト日本連盟初代総長)
彼は、関東大震災直前まで東京市長(現在の東京都知事)であった。